1 校歌
作詞作曲とも東京音楽学校(芸術大学)の教授に依頼した。高野辰之(1876-1948)は国文学者で日本の歌謡史・演劇史などの研究で名高い。小学校唱歌の作詞委員もつとめた。「春が来た」「日の丸の旗」「おぼろ月夜」「春の小川」 「故郷」「おおひばり(メンデルスゾーン曲)」などの作詞がある。
信時潔(1887-1965)は山田耕作らとともに業績を残し、日本に西洋音階による芸術歌曲を確立したひとりである。その古典的で力強い曲は愛され続けている。 交声曲「海道東征」「いろはうた」歌曲集「沙羅」歌曲「海行かば」ピアノ曲「木の葉集」などがある。
2 校章
明治29年に本校が県立尋常中学東予分校として発足した時に、松山中学(今の松山東高校)から転任して来た図画教師の高瀬半哉先生が創案した校章が、今も使用されている。
中学創立以来の校章を、そのまま途切れることなく守り抜いている高校は県下唯1校のみである。
この図案は「中」を幾何図式で作図しているが、一見しておそらく、星の輝きをも形象化したものと直感される。伸びゆく若人に、星の如く、思念深く、慈愛深く、高く、清らかに、永遠に輝けとの祈りが込められていると推察される。 図形は非常にすぐれていて、旧制中学時代に全国校章コンクールで1位になったという話も伝えられている。
ちなみに、高瀬先生は、夏目漱石の「坊ちゃん」の中の人物『のだいこ』のモデルだと言われている。(漱石の松山中学の在任は、明治28年4月から翌年の4月まで、29~30歳の時である。)